2006年7月後半,日本は全国で激しい雨に見舞われました.気象庁ではこれを「平成18年7月豪雨」と名付けたそうです.山国である,信州・長野県で は,各地で道路が寸断されるなど多地点で被害が出ました.

 そうした中においても,岡谷市湊地区では何人もの方々が亡くなるほどの規模で,土石流がおこりました. 亡くなられた方々にはお悔やみ申し上げます.

 理学部地質科学科の小坂先生,三宅先生,そして大塚先生らは,信州大学自然災害科学研究会メンバーという立場もあり,被害後,何回か調査に入られたとの こと.8月8日,私も現場を見せて頂くことになりました.森林生態学者の視点で,何が見えるでしょうか.

 ちなみに,あらかじめお断りしたいのですが,ここで私がお知らせする見解は,あくまでも私,島野光司個人の見解で,専門家の皆さんが集まっている信州大 学自然災害科学研究会や信州大学山岳総合科学研究所,信州大学理学部などの公式な見解ではありません.よろしくご承知下さい.

 出発前の打ち合わせです.地元,長野日報の新聞記者や地元のテレビ局数社,NHKのクルーなどが来ていました.
 赤いヘルメットが理学部地質科学科の三宅先生,白いヘルメットで,こちら向きになって図面を広げていらっしゃるのが小坂先生です.

 自動車はつぶれてしまっています.車の中に逃げ込んでもダメなのか,と思わせる状況です.

 沢筋の扇状地に広がる集落です.前方に見えるのが諏訪湖で,写真は上っていく道を振り返るようにとっています.

 全壊してしまった家は,すでに片づけられているのでしょう.むやみに広がる空間が何ともいえません.

 上流から流れてきた土砂は中央自動車道の橋脚に当たっていったそうです.この橋脚より下の住民の方が,テレビのインタビューで「中央道がなかったらもっ と被害が大きかったかもしれない」という内容の発言をされていたことを思い出しました.

 地元の方が連携して片づけをされています.

 さて,沢の上流の方へ上っていきます.
 集落の周りにはごらんのような水路がありましたが,あふれてしまいました. 

 水路の断面は,横が90cm,縦が120cmでした.その脇(山側)にはそれを遙かにしのぐ断面の水路が掘れていました.

 削れた水路は1本だけでなく,道路を挟んで反対側にも,もう1本.背の高さほどの深さです.

 途中で地層が異なることが分かります.削れた底面から70cmまでは,明るい茶色の地層.塩嶺塁層だそうです.
 それから上は,火山灰起源のものか何かで別物だとか.しかし,礫を含んでいますので,一度ならず,水で流れるか,崩れるかして堆積したもののようにも思 えます(植生屋がいう「崩積土」).
 地質の先生方がお調べになるでしょうから,私のような素人は黙っておきます.

 さて,現場は広い谷です.
 森林生態学者としては,どんな植生のところでこうした災害が起こっているのかが気になります.
 横浜国大の大野啓一教授によると,先の中越地震で地滑りなどの被害が出た所は,ことごとく人工林で,自然の落葉広葉樹の所では被害がなかったということ です.こうした所もチェックしていきましょう.

 周囲はカラマツの植林です.直径30cm程度,高さ20m程度のカラマツが倒れて います.私の第一印象は

根張りが浅い

ということです.写真の彼女が2m分,メジャーをのばしてくれています.

上から見てみましょう.根も細く,抱えている土の量が少ないですね.こんなもんなんでしょうか?

 崩れかけのカラマツ.やはり根が浅く,横方向の張りも少ないように思えます.
 ま,しかし,私も林学者ではないので...

 土を抱えているのは,表面から70cm,深くても1mほどまででし た.

 根自体は1m70cm程度.しかしこの細さになっています.後で出てくる落葉広葉 樹のオニグルミと比べて下さい.

 根も弱いんでしょうか.もっとあったと思うんですが,ちぎれてしまっています.

 年輪を数えると,30-40年生でしょうか.初期の成長はいいながら(年輪の幅が広い),最近はあまり成長がよくないようにも見えます.
 生物の高橋耕一助教授は,人工林での間引きなどの管理がされていないと,成長が悪 くなり,根も張らなかったのではないか,というコメントをしています. 確かに,という感じですね.

 ハイ,上記の高橋先生のコメント,林学(もとは樹木の生産などを目的にして発達した学問)ではよく知られていることです.さすがですね,高橋先生.
 この写真は,松本の美ヶ原に上がる途中のカラマツ林です.木自体も太く,高いですが,木と木の間隔が大きく空いていることが分かりますね.3mとか5m とか,一定していませんが,平均して4.5mくらいでしょうか.

 上を見上げると林床に光が十分差し込んでいます.
これによって,林床にも光が当たって,低木や草が生育する,そして,水をためる土を雨の直撃から流れないように守ってくれます.

 ひるがえって,岡谷の方をみてみましょう.
 ちょっと,遠くて見にくいですが,木自体がひょろ長く,また,木と木の間隔も狭いですね.2.5m程度でしょうか.
こういった木のひょろ長さや,間隔の狭さ(広さ)については,林学で,ある程度の基準が考えられていま す.

ひょろ長さについては樹木の直径と樹高の比をとります.

間隔については,樹木と樹木の間隔を樹高で割ったときの値を 使います.

ちょっと,計算してみましょう.正確な値は分かりませんが,シミュレーションです.



計算してみると,岡谷のカラマツは,ひょろ長く,樹高は高いのに,太くない,つまり 根も貼っていないだろう事が予想されます.

 松本の方は,安定した形状比で,根もしっかり張っているだろう事が分かります.

次は,樹間距離と樹高の関係を見ましょう.

基準はこの図で示すようなことになっています.もちろん樹 種によって違うのでしょうが.
で,計算してみると,左の図のようなことになっています.

やはり,25mのカラマツが2.5m間隔では過密すぎるようですね. もっとも,山全体がこの値かどうかは,私もきちんと調べていないので,参考まで,とし て下さい.また,正確にこの値を出すときには,一定面積あたりの樹木の本数(つまり密度)を出して,その上で計算します.今回は簡単なシミュレーションと言うことで,勘弁して下さい.

これに対し松本の方は,適正な密度,間隔,ということができましょ うか.

 さて,途中からも崩れている場所があります.観察してみましょう.
 崩れた谷頭(こくとう)部を見ると,削れた部分は黒い土,下は茶色い土に見えますね.
 手に取ってみましょう.

 なるほど.手触りが全く違います.
 上にある黒い土は,いわゆる黒ボク土のような手触りで,ほくほくしています.空隙率が高く,粘性がない.
 一方,下の方の茶色い土は,粘土のような手触りで粘性が高い.空隙率も低く,新たに水も含まないでしょう.
 つまり,上の黒い土がその空隙に水をじゃぶじゃぶためたが,下の茶色い土は水を遮 断してしまうために,小規模な地滑りのような現象が起こったのではない でしょうか.

 沢の樹木は壊滅的にやられていますが,残っている樹木もあります.調べてみると...

オニグルミでした.

 オニグルミは日本に自生する落葉広葉樹で,こうした谷筋,沢筋に分布します.や はりそうした所で生育していくように適応する過程で,洪水などに対する耐 性が身に付いているということでしょうか.

 秘密は根にありそうです.樹木の中心部から彼女がメジャーをのばしている所までが2m,しかし,2m先でも,カラマツとは比べものにならないほどの根の太さ,長さ です.2mの所での根の直径はかるく10cm以上.

このように,樹木の種類によって,根が張りやすく,支持力が強いもの,弱いものがあります.

これを調べられるのが,苅住 昇 著「樹木根系図説」です.これを図 書館に行って調べてみると,カラマツは根がそれほど深くなく,また,支持力が弱いこ と,一方,後で見るアカマツは根が2m以上も深くもぐり,支持力が大きいこ とが記されています.
 オニグルミも,この本を見る限り,根はしっかりはる方ですね.

カラマツは,直径20cm程度の個体では,根が横に広がるのがメインで,なかなか深く根をはる成長をしていないことが見て取れます.

 崩壊が起こった地点です.
 どんな植生かというと,アカマツ,スギ,カラマツなんかの人工林です.
 しかし,谷頭部の流れた部分はかつて段々畑として使っていた所ではないか,という話でした.
 それなら,崩れても仕方がないかな,という気がします.地面をネット,そして杭の 作用で押さえる樹木の根もなかったでしょうからね.

 こちらはコナラ.立っててほしかったんですが,残念.しかし,垂直根が削れた面の 下にまで伸びていて,樹木本体が下に流れていくのをとどめているように 見えました
 その意味では,崩壊防止に少しは役立っているといえましょうか.
  先の樹木根系図説によれば,コナラも根を深くはる樹木と なっています.やはりね.


 帰りに下りながら,そうした目で見ていくと,流されずに残った樹木に 目がいきます.落葉広葉樹ですね.

カキです.


こちらもカキノキ
 樅の木は残った,という小説がありましたが,「カキノキは残った」という所でしょうか.
 もう干し柿なんて作らないから...といって切ってしまわず,庭に残しておくと,ひょっとしたら家を守る補助的な役割を演じてくれるかもしれません.

 庭に植えるとしたら,どんな気がいいでしょうか?樹木根系図説によると,アラカシなんかも根が深いですね.しかし,これは常緑広葉樹ですから,この辺では少し冬が厳しくて,成長に良くないかもしれませ ん.ま,植えれば育ちますけど.

 庭に植える木も,そんなふうな視点で見るといいかもしれません.また,自分の家の 裏山にどんな木が植わっていて,その樹種の根のはり方,支持力がどうなのか,あるいは,人工林であれば,密度管理がどうなっているのかを知るのは,大切か もしれません.

 残った家もあります.
 セキスイハイムのドマーニ,という製品(?)だそうです.一部鉄柱が曲がったりしていますが,周りの家がないことを考えれば,よく持った,ということで しょうか.
今回,私は,地質の専門家の皆さんが調査にはいる,というので,おまけについて行ったようなものなんですが,貴重な体験をしたように思います.

 生物の佐藤先生は「沢が浅くて,日頃水も流れない,堆積物もたまってしまっている,そうしたことで今回被害がよりひどくなったのではないか」とコメント されていました.なるほど,日頃水が流れて,堆積物(土など)がなければ,水が出ても,土砂を巻き込まなかっただろうし,被害は少なかったのではないか, ということですね.

  何が人災か,天災か,というと分かりません.しかし,小坂先生が地元の方に聞き取り調査をすると,いつのことかは分からないが,むかーし,土砂崩れがあっ た,ということが言い伝えられていたそうです. 個人レベルでどこまで備えられるか分かりませんが,頭には入れておくべき情報なのでしょう,昔の言い伝えも.

今回の災害で亡くなられた方々には,改めてご冥福お祈り申し上げます.




トップに戻る