4 エトナ火山


エトナ火山はヨーロッパ随一の高さ(標高3330m)をもつ火山で,約50万年前にはカタニア北方海岸沿いのAcicastleあたりの枕状溶岩の活動などが始まっていた. この火山のテクトニックな位置づけについてはいまだに定説はない. あえて諸説を紹介するとすれば以下の4つの説がある.


第1は,アフリカプレート(エトナはこの上にある)と,イオニア海プレートが沈み込みつつあるヨーロッパプレートとの境界にできた,局所的な東西性の引張場にマグマが生じたという説(Barberi et al.,1974);
第2は,沈み込みと関係ないホットスポットであるという説(Tanguy et al.,1997);
第3は,南から沈み込んでいるイオニア海プレートがロールバックすることによって,ちょうどエトナの真下に圧力の減少がおこって,アセノスフェアが吸い上げられてマグマが発生するという説(Gvirtzman and Nur, 1999);
第4はホットスポットであったエトナに,最近(スラブのロールバックなどのために)沈み込みによるマグマ生成が付け加わってきたという説(Schiano et al.,2001) などである. 上記のうちGvirtzman and Nur (1999)を図示して紹介する.

図4-1

この説では,図4-1のようなイオニア海プレートの北方への沈み込みと,アフリカプレートとヨーロッパプレートの衝突という枠組みの中において,イオニア海プレートが後方にロールバックし,生じた減圧部にアフリカプレート下のアセノスフェアが吸い上げられるエトナ火山のマグマが生じたと考えている.

図4-2

現在の山体の大きな地形的特徴は東麓に発達するValle del Bove(ボーヴェ渓谷)であり,これの成因は諸説あるが山体崩壊によるものであるらしい. 歴史時代の噴火は山頂から,山腹からとさまざまな場所で起こっている. 1669年の溶岩流は,ニコロシから噴出し16km離れたカタニアの町まで流れた. 山頂付近にはNEクレーター(右図のNEC),ヴィゴロス(VOR),ボッカヌーボ(新しい穴:BN)という3つの火口が並んでおり,それから少し離れてSEクレーター(SEC)が1978年以来さかんに噴出物を出している. 1984年,86-87年,88-89年,89年,89-90年,90-91年,などの噴火ではSEクレーターから溶岩が流出し,87年4月にはそこで2名の死者も出している.


2001年7月17日に始まった噴火は,同年8月9日まで続き,総量約5千万立方メートルの溶岩を噴出した. 下の図4-3はその溶岩と火砕丘,割れ目噴火位置などを示している. 我々は,この図のRifugio Sapienza(直訳すると賢い避難所??)まで通常の観光バスで到達したあと,ダート用バスに乗り換えて北に2400m地点くらいまで登って,そこから徒歩で北東へ2001年溶岩を越えてLa Montagnola(2600mの等高線が取り囲む小高い丘)の北西麓に至るという見学コースをとった.


図4-3 エトナ山の概略図と2001溶岩の分布(The Research staff of the Instituto Nazionale di Geofisica e Vulcanologia - Sezione di Catania, Italy, 2001より引用・加筆)


図4-4 ニコロシの町北方よりエトナ山を望む

中央の高い円錐形の部分がSEクレーター. その左に山頂がある. 右手の山並みの向こうがボーヴェ渓谷. こちらに向かって2001年溶岩が流れているのが見える.
今回の噴火でニコロシあたりの住民は避難しなかった.


図4-5

噴火も終わり,すでに再開したRifugio Sapienzaとその周辺のツーリスト施設(標高1900m). ここからロープウエーで登れるところであったが,その施設は2001年の噴火で破壊された. 2001溶岩が間近にせまっている.


図4-6

Rifugio Sapienzaから上へは,このバスが乗せていってくれる. その向こうの高まりは2001溶岩から施設を守るために作られた土砂の堤防.
この堤防の向こう側を溶岩は流れた.


図4-7

2001年の噴火源のひとつ. Piano del Lago (湖の平原:2550m)をその南にある,la Montagnola 火砕丘 (2644m:1763年噴火の際の火砕丘)の上から見る. 手前から,溶岩のわきだし口,小火口,この写真では最大の火砕丘(Piano del Lago 2550m vent)などの今回の産物が並ぶ. そのはるか向こうの円錐形がSEクレーター,その左の山頂が白いのは昇華物のためらしい. SEクレーターまできれいに並ぶリニアメントは1989年の割れ目と位置方向とも共通している.

図4-8 図4-7図と同じ場所から手前の溶岩流を見る

写真右端で,溶岩流はボーヴェ渓谷へと流れ下る. 表面には溶岩じわがしっかりと見られ,わき出し口付近では溶岩堤防の地形がくっきり見える.


図4-9 Piano del Lagoから南に流れ下る溶岩流

溶岩堤防を作り,その中を溶岩は流下した.


図4-10 2001年溶岩により破壊されたロープウエー駅


図4-11

Rifugio Sapienzaへともどる途中で見られた1985年溶岩の断面. アア溶岩であるが,その内部にはこのようにクリンカーと緻密な溶岩との積み重なりが見られる. Compound aa lava(集成アア溶岩)である.


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