2005年2月13日,長野県山口村が岐阜県中津川市に編入されました.で,長野県であるうちにもう一度行っておこうかという気になり,2月12日,山口村の馬籠(まごめ)宿を訪れました.

 今回は,馬篭宿,隣の妻籠宿など中山道の木曽路,木曽五木と言われる,この地方に産出する有用樹種の見分け方,松本地方では見られないヒノキ林下の常緑広葉樹種,そして合併問題や「島崎藤村と長野」といったことを扱ってみようと思います.

毎度,つれづれでとりとめの無い構成ですが...



山口村の道路標識
「県道7号線・中津川南木曾線 山口村馬籠」この標識もなくなるでしょうから,一応写真に収めておきましょうか.
馬篭宿 入り口
さて,馬篭宿です.学生時代,合気道部の後輩が伊那の出身で,そちらに遊びに行った際,ドライブで一度来ました.何年ぶりでしょうか.
 この日は,三連休の真ん中ということもあり,また,「長野県山口村」最後の日いうことで,大勢の観光客が来ていました.この写真は,あまり人の写っていないものを選んでいますが.
坂にある馬篭宿
木曽街道(中山道の一部)沿いに多くの宿場がありました.昔ながらの形をとどめて保存されているところとしては,隣の妻籠宿(つまご,と読みます.おい,変換しないぞ, ATOK17! )や,奈良井(ならい)宿などがありますが,この馬篭宿は,坂の途中にあるのが大きな特徴といえましょう.石畳の坂を上りながら,町並みを眺めたり,歴史にふれたり,というのがここの楽しみ方です.もちろん,食べ物屋,土産物屋もあります.




上と,左の写真で道が大きく曲がっているのが分かりますか?江戸時代つくられた宿場は,安全上(軍事上)の対策から,あえて道を直角に曲げたりして通りにくくしていたそうです.これを枡形(ますがた)と呼んでいたそうです.幕府を脅かす軍勢が勢いよく通り抜けられないように,ということでしょうか.古い城下町や城の敷地内部にも,そんな構造を見て取ることができますね.

 ちなみに,ここは復元されたのだということです.左の写真では,石畳の道が大きくカーブして見えますが,この写真,向かって右側に直角に曲がる道がついており,こちらは石の階段を上り下りするしくみになっています.ですから,上の写真では,道が建物に突き当たって,行き止まりのように見えますね.それは,こういう理由なんです.
せんべい屋・民宿
こんな感じの町並みです.写真は,せんべい屋さんと,隣は民宿ですね.いや,本当はもっと人がいたんですが,あまり人が大きく写っていると,肖像権の問題とかがあるかもしれませんので,この辺で.昔ながらの,とはいえ,民宿らしき建物には,エアコンの室外機が見えますね.暑い夏も,客は快適に過ごせるのでしょう.
防火用水
防火用の水と桶(おけ).実際に水が入っているのか,飾りなのかは確認しませんでしたが...よく時代劇で,こんなの,出てきますよね.
水車と花
途中2個所ほど,水車があります.これはその一つですが,花が添えられていました.「それが何なの?」といわれると困るのですが...良い写真でもないし...
島崎藤村記念館
明治の文豪・島崎藤村はこの馬籠出身です.生家は火事で焼失したそうですが,そのあとに寄附金などを募って文学堂を立てたのが,現在の藤村記念館の前身のようです.これはその入り口です.
 入場券売り場兼・ミュージアムショップがこの入り口の向かいにあり,中に入らなくても藤村ゆかりのものを買うことができます.え,中には入らなかったのかって?いや,中も見ていくのが良いんですが,無学なもので...

さて,皆さん,木曽五木(きそごぼく),ってご存じでしょうか.通り沿い,藤村記念館の側に,この木曽五木が植えられていたので,紹介したいと思います.木曽五木とは,この木曽地方に産出する5種類の針葉樹です.ヒノキ,サワラ,ネズコ,アスナロ,コウヤマキです.コウヤマキ以外は全てヒノキ科.コウヤマキはコウヤマキ科です.
 江戸時代,木曽地方は尾張藩の管轄で,これらの有用な樹木を厳しく管理していたそうです.「木一本,首一つ」といわれ,これらの木を盗伐すると,首をはねられる,という言い伝えです.当時,ずいぶん無計画に伐採されたりして,山が荒れ,その対策に,ということのようです.
 では,順番に紹介しましょう.  
ヒノキ
まずはヒノキです.分かりやすいように,葉の裏側を紹介しています.この,ヒノキのような樹木の葉を「鱗片状」とよびます.で,このつなぎ目の部分が白く,「Y」の字型になっています.これがヒノキ.
 自然の分布は山地帯の尾根沿い,土壌が薄く,他の落葉広葉樹などが苦手な生育地を埋めるように生育しています.なぜ木曽でヒノキが有名かといえば,この地方の山岳が急峻なことが,そのバックグラウンドとしてあるのです.
 
サワラ
こちらはサワラです.土壌の発達しないところに分布するのはヒノキと一緒ですが,こちらは沢筋の礫がゴロゴロしたところや,いわゆる岩塊斜面のような所に生育します.ヒノキに比べると,湿ったところ,というイメージでしょうか.材も,ヒノキよりも湿気に強いという話も聞きます.
 見分け方ですが,ヒノキが「Y」字型なのに対し,サワラの白い部分は「X」字型だといいます(どちらも葉裏の話).しかし,Xと言うよりは,蝶が羽を広げたような形といった方が,分かりやすいでしょうか.私個人は「白い部分が蝶ネクタイ型」と呼んでいます.
アスナロ
こちらはアスナロ.ここには「アスヒ」という名前で看板が出ていました.アスナロという呼び方は「明日はヒノキになろう」という言葉から来たという説があります.ヒノキは良い材として珍重されますが,自分(アスナロ)はそうではない,明日はきっとヒノキになろう(成長しよう)というような話です.井上靖の「あすなろ物語」のネーミングの由来もこの辺の話からですよね.
 さて,見分け方.まず,葉自体が大きく,そして平べったいです.そして葉の裏をめくると,気孔線と呼ばれる白い部分が写真のように大変目立ちます.
ネズコ
こちらがネズコ.他のものと同じように裏面を見ていますが,白い部分がありません(目立ちません).そのため,裏面も表面も同じように見えます.特徴がないのが特徴,という感じでしょうか.
コウヤマキ
で,最後がコウヤマキ.これだけ科が違うので見た目の印象も違いますね.線状の葉が,枝の所々にある節からまとまって出てきます.葉の長さは10cmとか,そうしたレベル.覚えれば,見間違えることはありません.名前の由来は,和歌山県の高野山に多いからとか.私は見たことがないので分かりませんが...
山口村・藤村記念館
さて,入らなかった藤村記念館ですが,件の入場券売り場兼ミュージアムショップでおみやげを買うことにしました.写真は,土産袋です.
藤村童話集 1-4
藤村の童話集です.藤村が童話を書いていたとは(不勉強な私としては,当然)初耳でした.筑摩書房から出ていて,「幼きものに」「ふるさと」「おさなものがたり」「力餅」の全4巻です.他所では(なかなか?)手に入らないとか.挿絵は竹久夢二です.枕元において,寝るまえにページをめくったりしています.
鍋敷き
あとは,木工品屋さんで買い物.こちらは鍋敷き.先ほど紹介したネズコでできているとのこと.値段も手頃で実用品として良い感じです.
一合升
こちらは一合升.面白いと思ったのは,樹木の名前が彫ってあるところ.36種類ありますが,楮(コウゾ)は読めませんでした.削りだした良い香りがします.日本酒を飲んだり,お米を炊くときに使っても良いのですが,これは飾りとして使おうと思います.ま,話の種に.
林床
観光してればいいじゃん,といわれるんですが,つい林床植物なども見てしまいます.ここは,馬篭近くにある,中山道の石畳.気がつくと石畳の写真はないんですが,こんな所に目が行きます.
 ヒノキの植林ですが,目につくのは,常緑広葉樹ですね.松本近辺と違い,こちらは標高も低く,冬も暖かい.そのためこうしたカシの仲間などを見ることができます.長野県内では,こうした南部でないとなかなか見られません(山口村を含めもう岐阜県ですが...).
アラカシ
まずはこれ,アラカシ.葉の先端から中部まで粗い鋸歯がついています.シラカシも鋸歯はありますが,こんなに目立ちません.アカガシは全縁なので,一度覚えてしまえば間違えません.
ヤブツバキ
ヤブツバキです.園芸用に色々ある椿(ツバキ)ですが,これは野生.写真には写っていませんが,薄茶色のツルンとした幹肌が目立ちます.葉は鋸歯があり,写真のようにクチクラ層が発達,テカテカしています.これを持って,常緑広葉樹を照葉樹と呼ぶわけですね.
ヤブコウジ
こちらはヤブコウジ.別に実生(みしょう,タネから芽生えたばかりのもの)というわけではなく,これぐらいで最大の大きさです.暖温帯常緑樹林に分布しますが,日本海側では,雪のおかげで寒さをしのぶことができるため,ブナ林の林床に出ることもあります.ま,日本海型ブナ林が太平洋型ブナ林に比べ低い標高まで分布しているから,という理由もありますが.
ヒサカキ
こちらはヒサカキ.常緑低木としては,もっともポピュラーなもののうちの一つです.神棚に上げるサカキ(榊)は鋸歯がありません(全縁)が,これは鋸歯があります.枝の先にある芽が,いわゆる冬芽らしくなく,スッ,と尖っているのがサカキ,ヒサカキの特徴で,全縁ならサカキ,鋸歯があればヒサカキ,ということで見分けられます.
シロモジ
これは常緑樹でなく,ご覧のように枯れていますが,シロモジという樹木です.西日本のブナ林でよく見かける樹木ですが,なるほど,この辺だともう分布するんですね.素直に驚きました.クスノキ科の樹木で,葉の先が3つに割れるのが特徴です.ダンコウバイにちょっと似ているかもしれませんが,切れ込みが深く,スマートな葉です.

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妻籠宿
馬篭まで行ったのに,そのまま帰るのももったいないので,隣の妻籠宿にもよりました.こちらは木曽郡南木曽町,ということで長野県のままです.
妻籠の町並み
もう,夕方4時を過ぎ,観光客の足が退いたこともありましょうが,馬篭に比べると,妻籠の方は落ち着いた雰囲気があります.
 私が妻籠のことを初めて知ったのは,大学の1年か2年の時で,千葉大教養の通称「木原の法学」という授業の中ででした.担当の木原敬吉教授は「歴史的環境 -保存と再生-」(岩波新書,1982)の著者で,この本の中にも取り上げられている妻籠の話をされました.
妻籠の町並み
過疎化が進む一方,日本全国何処へ行っても同じような開発をしていく中,ここ妻籠は,「保存的再開発」で,江戸時代の宿場町を再現し,これによって観光客を集めることに成功したのです.今でこそこうしたコンセプトはよく理解されているものの,当時の日本では非常に先進的な取り組みでした.
妻籠の町並み
こうした取り組みは,地元の人だけでなく,そこを訪れる観光客がその意義を理解し,良い意味でお金を落とし,そこを育てていく必要があります.今回は,時間が遅かったため,お店はほとんど閉まっており,私は「おやき」を買うのが精一杯でしたが(電子レンジでチンだったのはちょっと寂しかったですが),贅沢をしない範囲でお金を使いたいと思っています.学生時代には決してできなかったことですから.


 というわけで,今回は長野県から岐阜県に編入された,旧山口村の馬篭宿とその地域の常緑植物や木曽五木,さらにおまけで妻籠宿などを紹介しました.

 長野県内の人はよくご存じでしょうが,山口村が長野に残るのか,岐阜になるのかは色々もめました.田中知事が,はじめは岐阜県に編入することを認めるような発言をしていたのですが,後にそれをひるがえすなどしたためです.地域で生活している人たちのことを考えれば岐阜県・中津川市でしょうが,長野県という行政の長としては,そう簡単に手放すわけにはいかなかったのでしょう.例えば神奈川県に,「俺たち,東京の下みたいにみられるの,いやだから,アメリカ合衆国の51番目の州になるよ」と突然宣言されたら,日本国としては「はい,そうですか」というわけには行きませんよね.なので,田中長野県知事の立場も分からないではありません.

 しかし,今回,何がまずかったかというと,はじめ「ok」といっていたのが「ダメ」というふうに,途中で態度(判断)をかえてしまったことではないでしょうか.

 たとえば,娘が,「お父さん,あたし,中津川さんの所に嫁ぎます」といったとき,お父さんが「うむ,自分で決めたことだ.幸せになるんだよ」と言っていた(「最終的に判断するのは住民」長野日報2002年6月14日,「どのような自治体をつくるかは、そこに住む人が決めること」長野日報2004年2月8日)のが,「ダメ,やっぱりダメだ」となれば,それはもめますよね.古いたとえで恐縮ですが.やはりはじめから態度を一貫させておくべきだったのだと思います.

 私個人は,今回行ってみて再確認したのですが,山口村の人たちの生活圏が中津川生活圏の中にあり,生活上の利便性を考えれば岐阜県中津川市になることが良かったのだろうと思います.しかし,中には長野の方が良かったという人もいらっしゃるでしょうから,地域が分断されるようなことはおきてほしくないですね.

島崎藤村は長野出身の文豪じゃなくなっちゃうの?」という意見,疑問はあるかもしれませんね.しかし,木曽の島崎家であり,木曽の藤村であったわけですから,そのこと自体はかわらないでしょう.そもそも,気候・風土,言葉も違う善光寺平を藤村が訪れて自分のふるさとと思ったかというと,ちょっと疑問な感じもします.それとおまけ情報ですが,現在の長野県が1876年にできるまで,現在の長野県(ややこしいな)は,東信,北信からなる(旧)長野県と現在の中信,南信+飛騨地方からなる筑摩県に分かれていました.藤村が生まれたのは1872年ですから,長野県生まれではなく,筑摩県生まれ,です.こうしたことから,文化面で,木曽南部は北信よりもむしろ岐阜と近かったのではないでしょうか.文化の指標として方言を見ても,「居る」という言葉を北信では「いる」といいますが,南信,飛騨,美濃,尾張では「おる」といいます(徳川宗賢「日本の方言地図」1979中公新書).ですから,そもそも,(現在の)長野県,信州,信濃とはいったい何なのかを考える必要があるのかもしれません.

藤村は,小諸で過ごした7年をどんな気持ちで過ごしていたのでしょうかね.「雲白く...」

と,今回はこの辺で.


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