雑感

UPDATE: 2006年1月25日

いただきますと言わせないで!?

 毎日新聞の2006年1月21日付け東京版朝刊に...といっても,私はネットで知ったわけですが,永六輔さんのラジオ番組で,給食時の「いただきます」についての話題が取り上げられたことが紹介されました.
 どんな話かというと,「給食費を払っているから、(学校の給食の時に)子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」ということなんですね.
 何というか,居ても立ってもいられなくなって,こんな記事を書いているわけです


母親の理屈としては,「こっちは金を払ってるんだから,客だ.なんで客が礼を言わなきゃならないんだ.逆に礼を言われる方だろ!」ということなんでしょう.

永六輔氏も新聞のインタビューに答えているように,この母親にとってお金こそがありがたいものになってしまっているんでしょうね.

では,食事の時に,なにを「いただく」のでしょうか?

それは命です

学校の給食にしても,コンビニの弁当にしても,その原形をとどめているものは少ないでしょうが(ブロッコリーなど,サラダぐらい?),我々が口にしているものは,水,または塩分など無機物を除けば,すべて命ある動植物から作られたものです.

ですから,「いただきます」というのは,作ってくれた人に対する感謝だけでなく(それだけを考えるから,金を払ってやっているのは自分だ,という理屈になってしまう),我々の食料となって,命を落とした生命に対しての感謝のはずです.

こうしたことは,かつては「常識」で,学校などで教えなくても子どもはきちんと理解して(少なくとも知って)いたはずですが,いまや,親が分かっていない状況なんですね.

現実問題として,我々は,他の生命の犠牲なしに,生きていくことが出来ません.もちろん,食料自体に関しては,有機物を人工的に合成して...ということも,技術的には可能かもしれませんが.

そうやって,人間はこれまで生き,歴史を作り,文明を築き上げてきました.全て,他の生命の犠牲のもと,です.

ですから,環境科学,これは狭く言えば,「我々人間が,安全に,かつ快適に生活する」ための問題の解決が目的ですが,そのためにも,我々人間を取り巻く生物環境,その土台となる地球環境を取り巻く問題点を認識し,解決していく,うまくつきあっていくことが求められるわけです.

生態学者として,自然の豊かさを尺度で表すために,多様性や個体数の多さを扱うことがあります.しかし,多様性が高ければいいというものではありません.大切なのは,命そのものなんです.

何というか,暗澹たる気持ちになってしまいました.
 某掲示板風に言うと
「日本,もうダメポ
という感じです.

しかし,一方で,その新聞記事には,宮崎県で「食事の際に「いただきます」を言うことなどを呼びかける運動が展開されている」ことが紹介されていました.運動をしなければならないほどこうした観念が衰退していることは,ちょっと残念ですが,必要なことでしょう.応援したいと思います.

ちなみに,我々の学科では,泊まりがけの実習の際,全員そろって「いただきます」をしてから食事をいただきます.当たり前のことと思っていましたが,今や,必要な教育なんですね.

 何か,つれづれに感想を書いてしまいました.本当は,この時間,学生の卒業論文を読むつもりだったんですが.ええ,これからマッハで読みます.ハイ.(注1)

注1:私が子どもの頃,何かを急いでやることを「マッハでやる」という言い方が普及していました.マッハ,というのは,もちろんmachのことで,音速,約332m/秒の速さです.なんで「約」かと言うと,これは大気の温度などで変わるからですね.

 どうでもいい話でした.皆さん,他の生命の犠牲の上に成り立っている人生,大切にして下さい.とくに青春なんて,マッハで過ぎていきますから.