雑感

UPDATE: 2006年3月14日

論文偽造疑惑と荒川静香のイナバウアー

 少し前のことになりますが,日本でもいくつかの大学で論文のねつ造疑惑が持ち上がりました.うやむやな状態で終わったような感じもしますが.どうしてこういう事が起こるんでしょうか.一連の論文が,捏造だったかどうかは判断が難しいようですが(私も「本当のことは分からない」という立場をとるしかないですね),ねつ造を起こしてしまうような,周辺の要因を考えてみたいと思います.

 いろんな考え方があると思いますが,お金がからんだりすると,何が何でも,成果を出して行かざるを得ないんじゃないか,という風に思います.韓国のyellow教授も,ものすごい金額の研究費をもらっていたんですよね? で,2006年2月6日の産経新聞によると(他の新聞でもいいんですが),政府や民間から提供された六十二億ウォン(約七億六千万円)を個人で不正に流用しちゃったり,と.
 ま,不正流用はまた別の話として,そうした資金で,研究員を雇ったりもするでしょうし,高価な機械を導入したりもするでしょうから,そうしておいて,「やっぱりダメでした」とは言いづらい環境ができてしまったんじゃないでしょうか.

 私,思うんですが,こうした人たちは,研究をしてて,楽しいんでしょうか?
 それとも,単純にお金を稼ぐ手段なんでしょうかね?

 私は,研究してて,一応,楽しいです.研究って,「誰も知らない何かを発見すること」なんですよ.あるいは,自分が「こうじゃないかな?」と思った仮説を検証して,その通りであれば,「やった,やっぱりそうだった!」と感激するわけです.だから,純粋な研究って,心躍る仕事なんですよ,本来.

 で,一応,と書いたのは,やはりつらい部分があって,特に今,大学でも,教員の評価といえば研究業績(平たく言うと,論文の本数)が問われていて,これを気にしながら研究をするのはつらいです.ねつ造してまで,とは思いませんけど.

(ちなみに,このことの弊害は,どんなに教育に力を入れていても,工夫していても,学生諸君に学ぶ楽しさを知ってもらっても,これらが評価されない((評価する方法がない)),ということです.全国の大学で,授業が手抜きになったりしないことを望みます)

 我が島野研究室は,学科の中でも貧乏研究室な訳ですが,例えばどこかに出かけたりするのに自分でお金を払ったりするので,そこでみるもの,やることにより愛着があります.「金のためにやってるんじゃないんだ」という感じ.研究をするのに矜持(きょうじ)を持っているわけです.ねつ造なんかしたら,自分が傷ついちゃうわけです.他人に評価や序列をつけてもらうために研究しているわけではないんですね.お金をもらうには,評価や序列付けが必要ですが.

 さて,荒川静香選手です.オリンピック金メダルおめでとうございます.

 現在のフィギュアスケートの採点方法って,かつてのように芸術性だとか何とかではなく,どのジャンプを飛んだら何点,あの難しいジャンプを飛んだら何点,という形なんだそうですね.で,イナバウアーをどんなに決めても直接得点にならないんだそうです.しかし,荒川選手はそれにこだわった.得点を稼げるジャンプを減らしてでも.「得点のために滑っているのではない」という彼女の心意気が伝わります.彼女のほこりをかけたすべり.すばらしい!すばらしすぎる!!

 ところが,荒川選手が日本に帰ってきて,文部科学省を訪れ,小坂文部科学大臣に報告をした際,小坂文部科学大臣は「人の不幸を喜んじゃいけないけれど、(スルツカヤ選手,コーエン選手が)こけた時は喜びましたね。「これでやったー」と喜んだ」という発言をしました(後に問題になったため,撤回).
 はぁ.なさけない.荒川選手はこのとき無言でしたが「日本の文部科学行政ってこんなものね.こりゃ論文ねつ造も起こるわけだ」と思ったんじゃないかと,私は思ったりするわけです(^^;

(もう一つ余談ですが,パラリンピックでこんな発言がでなくて,ホッとしています)

 理系の学部では,4年生の時,卒業研究を行い,論文を作成して卒業します.このとき,教員が学生にテーマを与える場合,学生自身にテーマを決めさせる場合がありますが,私は基本的に,学生にテーマを与えません.学生諸君が自分たちで,不思議だと思うこと,明らかにしたいと思うこと,あるいは興味のあることを基本に,大学の研究レベルにまで一緒に練り上げて,そして取り組んでもらっています.「言われたこと適当にやってりゃいいや」という若者が多い昨今,少ないながらそうした学生もいます.自分で選んだ研究テーマですから,私も感心するぐらい熱心ですし(手伝いについて行く,私の方がヘロヘロ),情熱を持って取り組んでくれます.

 こうした取り組み,すなわち,自分で何に取り組むかを決め,問題点を見つけ,どうすれば解決できるのかを探しながら,自分で事を成し遂げていく,このことは,人生を生きていくことと同じなんだと思っています.社会に出て行って,非常に大切なこうしたことを,研究を通して身につけていく,これが私の研究室での研究に取り組む一つの意義です.だから,研究内容が社会に役立つかとか,研究成果が金になるかとか,そういうことは,問題じゃないんです.

ね?ねつ造なんかしてもしょうがないでしょ?

自分の人生,ごまかしたって仕方ないんだから.