ハチの帰る所

UPDATE: 2009年5月3日

おとぎ話


 もう何処まで飛んできたんだろう,とそのハチは思った.こんなに遠く離れては,仲間に場所も教えられない.花の蜜を求めてやっては来たが,何処まで行けば花が咲いているんだろう.地面は灰色の壁に被われていて,そこに垂直の建物が立っていた.中から熱を出し,しかも外からの熱を,地面の壁と同じように返していた.

 もう疲れた,とそのハチは思った.もういいじゃないか.みんなのためにがんばってきたし,それが自分のためだと思ってやってきた.でも,もう

 突然声がした.いや,声ではないのかもしれない.だが,誰かに話しかけられたような気がした.空を見回したが,仲間のハチたちはおろか鳥すら飛んでいない.だれ?

 怖がらなくていい,とその声は伝えた.一緒に帰ろう.
 仲間の所へ?巣へ?でも,今日は全然蜜が集められなかったんだ.
 そんなときもある.君ががんばっているのは,みんな知っているよ.環境がかわったんだ.もう君たちが蜜を集められるような花なんて,この地上の何処にもない.私も残念だ.変わってしまったんだ.
 どうなるの?どうすればいいの?そう聞いたものの,ハチには不安な気持ちが無く,大きな優しさに包まれたような心地だった.
 ついておいで,とその声は言った.
 ハチは耳鳴りがしたような気がした.自分の羽音ではない.もっと振動数の高い音だ.

 君の住むべき所は,もう,ここではない,とその声の主は言った.

 ふと自分の前足を見るとよく見えなかった.目が悪くなったのだろうか?だが遠くにひろがる灰色の景色は見える.ハチは,そして自分の前足を透かして遠くの景色が見えることに気が付いた.どうしたって言うの?でも気持ちは安心して,不安なんて全然なかった.
 透明になって来たのは足だけではない.見づらいが,体全体が透明なようだ.それに...自分で羽ばたいてはいるのだが,自分が今空を飛んでいるのは自分が羽ばたいているのとはちょっと違う感じだった.

 気が付くと目の前に,いなくなっていた仲間のハチたちがいて,呼んでくれていた.地面は緑に被われ,黄色や白の花が咲き誇っていた.

 ああ,ありがとうとハチは思った.だれに?誰にでもなく.誰に感謝すればいいのか分からなかったが,感謝の気持ちでいっぱいだった.

 こうして,また,地上からハチが消えていった.