2010年は2月の17日.横浜国大でお世話になった藤原一繪先生の退職記念最終講義が行われました.私が当時横浜国大で直接お世話になったのは,奥田先 生,大野先生ですが,なんというか,お隣の研究室,という感じが藤原研でした.建物は隣だけど.いろいろな縁でここまで来ました.最終講義,出席させてい ただきます.


久しぶりの横浜.まずは早めに伊勢佐木町のホテルにチェックイン,荷物を置いて,再び横浜駅に向かいます.

地下鉄で横浜に降りたら,久々だったんでどこの出口にでたか分からず,ぐるぐるしてしまいました.で,やっと西口のモータープールへ.

釜台第3行きのバスで大学へ.降りるのは釜台第2のバス停です.



 ああ,あの頃よく行ったそばや.まだちゃんと続いていました.盛りそばを頼むと,上にかき揚げを載せてくれたんですよね.懐かしい.今日はよれないけ ど.

 ああ,スーパー山さん.懐かしい.ハッサクとかを買って,研究室で食べたりしていました.甘夏じゃなくて,ハッサク.

 会場になる建物は,私がいた頃にはなかった建物なので,やや迷いつつたどり着くと,すでに大野先生による前説が始まっておりました.

 で,藤原一繪先生.思い出話みたいなことかと思っていたら,かなりまじめなお話.いえ,思い出も交えながら.

フランスやら,アフリカやら,熱帯地方,様々なところで成果を残されてきました.藤原先生の研究デビューが尾瀬だとは,不勉強な私としてはこの日,初めて 知ったことでした.

 学生,OB,大勢の関係者から花束.今花束を渡しているのは,池田君.

 で,会場を移してパーティ.ホテルを借りての大がかりなパーティは,5月に改めて.この日は,大学構内のレストランを借り切ります.

 藤原先生から初めて博士号の学位を頂いた人は,なんと目黒さんでした.現在,国際生態学研究センターで活躍.

 島田君は学位取得後,岩手県立大学へ.現在助教(のはず)として活躍.

 一番最近学位を取った伊藤さん.元気で初々しいですね.

 菊池先生は仙台からお越し頂きました.距離は松本とどっこいどっこいですが,新幹線が何せ速いので,私の方がずいぶん横浜まで時間がかかりました.

 最後に用意されたケーキには,藤原先生自らナイフをお入れになります.
 私は血糖値と中性脂肪が高めなので,残念ながら見学だけ.



 「先生,写真取りましょう!」という感じで集まった面々.向かって左から目黒さん,私,藤原先生,そして以前国際生態学研究センターに要らした鈴木さんは, 現在東京農大の教授に転身されました.おめでとうございます.

もう,2時間近く飲んでいるので,藤原先生以外,我々はみんな目が据(す)わっています.ちょっと怖いですね(笑).

 レストランは時間制限があるので,時間後は校舎に移動.

 食べ物はまだ十分あります.みんな飲んでばかりいたから(笑).

 改めて「かんぱーい!」

藤原先生にお願いして,研究室を見せていただきました.

 1997年に藤原先生のところで助教授の募集があり,学位を取ったばかりの私は,助教授なんて高望みなのは承知で,藤原先生のところに直接伺い,書類を 受 け取っていただいたことがあります.もちろんそのとき助教授にはなれませんでしたが,藤原先生がそのときの私を覚えていて頂いて,ポスドクの募集の際に声 を掛 けて下さいました.

 実際に机を置いたのは,奥田・大野研究室ですが,そうして臨時ながらポストを得ることができたのは,藤原先生との出会いから.ありがたいことです.
 様々な書類や資料が山積みなのはあの頃のまま.懐かしいです.私の部屋が乱雑なのは,この部屋の影響を受けてのことかも知れません(失礼!).


 ホテルは,バス,電車で移動しないと行けないので,2次回の途中で抜けさせていただきます.
 関内で降りて,伊勢佐木モールを抜け,赤提灯へ.

 うん,良いじゃないですか,気取らずに,落ち着く感じのお店.

 串焼きの盛り合わせ.で,焼酎お湯割り,1対1.串焼きは塩で,辛い味噌が付きます.

 そうです.白熱灯です.蛍光灯じゃダメです.正解です. 

 という感じでお世話になりました.
 ホテルは,もう,シャワー浴びて寝るだけ.

 翌日,横浜も雪が降りましたが,つもりはしませんでした.帰り,通過する山梨県内(郡内地方?)は結構つもっていましたが.

そんなことで,お元気な藤原先生に会えたり,日頃あまり会えない人たちと会えたり,充実した横浜行きでした.5月のパーティも,また,出ようと思います. そん なことで,また.


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