コロンビアリバー玄武岩
Columbia River Basalt

コロンビアリバー玄武岩ってなに?

 コロンビアリバー玄武岩は,下の図のように,アメリカ合衆国ワシントン州(WA),オレゴン州(OR),アイダホ州(ID)にまたがって16万平方キロメートル(本州の約3分の2の面積)にわたって分布する,世界有数の巨大な玄武岩溶岩の地層です. その体積は併せて17万立方キロメートルにもなります.細かくみると,コロンビアリバー玄武岩と総称されているこの巨大な溶岩層は,合計で300枚を越すたくさんの溶岩流からなっています. 一枚一枚の溶岩がどのように流れたかということも,かなりの程度判っていて,たとえば下の図に示したように,ギンコ(日本語ではイチョウのこと)溶岩と名付けられた一枚の溶岩は,数十メートルの厚さで,下の図のように延々と数百キロメートルも流れています. これは,例えると,浅間山の溶岩が中部地方全域を埋め立てたあげく,先端は岡山あたりまで流れ込んだくらいの規模です.
 こんな大規模な溶岩の大部分は、今から約1700万年間から1500万年前までの間の期間にできました。そして今でも、この溶岩の分布している地域は、コロンビア高地と呼ばれる巨大な平原を形成しています。

コロンビアリバー玄武岩累層と,そのひとつギンコ溶岩の分布.

コロンビアリバー玄武岩の名前の由来は?

この膨大な玄武岩は,上の地図のように,ワシントン州よりも北,カナダから流れ下るコロンビア川の流域に分布しています. そしてコロンビア川に削られて美しい溶岩層の崖を露出しています. 研究された初期には,Yakimaの周辺地域の玄武岩に対してヤキマ玄武岩という呼称が使われていましたが,調査が進むと,上の図のように広い範囲に同じ溶岩層が分布することがわかって,全部ひっくるめてコロンビアリバー玄武岩(累層)という名前が1970年代に定着しました.


コロンビア川右岸に露出する重なった溶岩の層(The Dallesの西方).

溶岩はどんなふうにして流れたのでしょうか?

 このように大規模な溶岩が実際に流れるところはまだ見た人がいません. なぜならば,地球上で人類が文明をもつにいたって後のわずかな時間(約1万年程度)では,このような大規模な溶岩の活動はおこっていないからです. 従って溶岩の流れる姿は想像の域を出ないのですが,1970年代にある学者は,数百kmもの距離を1週間程度で流れただろうと推測しました. これは,時速数km程度,つまり人の歩く速さに相当します. そう言うと遅いようですが,溶岩がこんなに平たい平原を流れる速度としては他に比べるものの無いほどに早い速度です. それに対して,最近,ハワイの学者を中心として,ハワイの溶岩と同程度のゆっくりした速度で流れたのだろうという仮説が提唱されています. ハワイで目撃された例では,溶岩はパホイホイ・チューブという人頭大の突起を最前面に形成して,そのチューブが上下左右に膨れ上がって癒合しあい,最終的には一枚の板状の溶岩を形成しつつゆっくりと流れます. この考えによれば,コロンビアリバー玄武岩は数ヶ月〜数年かけて流れた計算になります. この問題は,一日あたりどれだけのマグマが地表に出てきたかという時間あたり供給率を知る基礎となり,ひいては大気中への火山ガスの供給率の問題,そしてそれは,破局的な火山活動によって引き起こされる地球寒冷化の程度の議論に直結しています. そのため,この問題は真剣に議論されています.

溶岩が水の中につっこんだ?

 溶岩がどのように流れたかということは,たいへん重要な問題なのですが,陸上を流れた溶岩は熱を長時間保持しながらゆっくりと冷えるために,流れた直後に残されていた内部構造は癒着して見えにくくなっています. そこで,注目されるのが,溶岩が湖や沼につっこんで水冷されると,流れた直後の溶岩内部構造が冷却保存されるため,たくさんの証拠を見つけられることが期待されます. 幸いにして,コロンビアリバー玄武岩は,当時の古コロンビア川とその支流の流域を流下したので,各所で川を堰き止めて湖を作り,後続の溶岩は水中につっこんでいます.


 水中につっこんだ溶岩は,陸上のパホイホイ溶岩と同様に,最前面に人頭大のチューブをたくさん作りながら前進します. 水中の場合,このチューブは断面が枕に似ることから枕状溶岩と呼ばれています. そして,この枕状溶岩の積み重なった層の上は水面上になるので,陸上の溶岩と同様の,たてに割れ目が発達して六角柱状になった(柱状節理)溶岩が乗ってきます.


ワシントン州マルダンで見られる溶岩の断面

下部は,写真左下方に傾斜する枕状溶岩チューブの累重からなっており,それより上部は陸上を流れた六角柱状の節理をもつ溶岩からなっている.

ワシントン州レストハーヴェンで見られる枕状溶岩のチューブとその表面

 さて,このような溶岩の構造が復元されてくると,溶岩の流動時の姿がだんだんと明らかにされてきます.


私は、かつて溶岩が流れていたときの水面すれすれの場所にできた枕状溶岩のチューブとパホイホイ・チューブの比較をすることで,溶岩の流れていたときの姿をより具体的に復元しようと試みています.


詳しくは,この要旨をご覧ください.

なお、以上の記述は,以下の論文を引用しています.

また、アメリカでの生活のあれこれについては、アメリカ一口メモをご覧ください.

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